読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

リフレ政策を語るスタンス

リフレ政策に関する本を精力的に刊行する人の意図は、『リフレ政策に対する経済学的に正しい知識を、一般の人々にもわかる水準で広める』ということだと思われ、その内容は理解するのには結構苦労しますが、一般人としては十分なくらいにしっかりとした知識が身につきます。
その一方で、ネットで直接的なやり取りを含めてリフレを語る人の姿勢には不明瞭なところがあります。
ネットで一般人とやり取りをする場合、相手は一般人なのですから相当に変なことを言う人々がいるのは当たり前ですし、直接コミュニケートする以上、そんなことは織り込み済みなはずなのですが、相手の知識のなさを嘲弄するような発言を精力的に反復している人がいて、『何がしたいのだろう』と疑問に思います。
リフレ政策を広めたいと思うなら、単にその内容について一般人に分かる範囲で、世論形成や投票行動に必要なレベルで教えれば良いと思うのですが、やっていることが逆。
専門知識や用語を振り回して、分からない相手を馬鹿にしながら『読書しろ』とか言っている。しかも勧める本のなかには教科書を挙げていたりする。
馬鹿げていますね。
他の例で考えてみればそのバカさ加減がよくわかりますよ。
例えば、死刑について賛成・反対という一般国民の世論がありますが、それを聞いた時に法曹関係者が見下した調子で「教科書を読め」と発言していたらどう思いますか?
憲法と刑法の分厚く難解な教科書を読まない限り、死刑についての意見を言うべきじゃないなどと言ってのける法律専門家がいたら、私だったら「馬鹿はお前だよ」と思いますね。全く現実的でない。
いくら馬鹿だのアホだの言ってみても、自分の生活に必要がない上に負担の重いそんな読書を誰がすると思いますか。そんなことをするくらいなら死刑の存廃問題なんぞには関心を持たなくなるでしょう。
話をリフレに戻せば、ネットで一般人と言葉をかわして、「お前はモノを知らない」「お前の言い分は全く間違っている」「発言したければ教科書を読め」と侮蔑しながら放言することで、リフレ政策への支持が広がるでしょうか?広がるわけがありませんね。当たり前です。常識があればわかりますが、専門なんとやらの人々にはわからない、ということが非常にしばしば発生します。
直接侮辱されるのでなくても、そのようなやり取りを傍で見物している人々の間にもリフレ政策に対する忌避感は生まれてくるでしょう。
それは本当は、馬鹿げた発言をしている思い上がった「知識人」への反感なのですけれども、不愉快な経験と結び付けられて象徴的に嫌われるのは提唱されている政策の方でしょうね。
リフレを唱える学者が出てきた時の一般の人々の感情がどのようなものかは2chを活用すると良いとおもいますよ。学識を鼻にかけた思い上がった態度がどれだけ憎悪されているか少しは分かるでしょう。
下々の人間の賛同なんか要らん、「心ある」官僚だかマスコミ人だか政治家だのの働きがあればリフレは達成できるのだ、ひいては「俺たちも『こっち側』の人間なんだよ、お前らなんぞとは違うんだよ」と言いたいのであれば、さっさとやって見せろ。