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リフレ支持と「リフレ派」

デフレからの脱却が近づいてきて、いわゆる「リフレ派」の解散も見えてきたかな、と思うこの頃。
私の感覚では、「リフレ派」というのは専門家とそれに近い活動をしている人たちのことだと思うので、私のようなリフレ支持の一般人は「リフレ支持層」とでも自称するべきだろうと思うのですが、世間的に区別はされていないです。


景気がよくなってきたせいか、いわゆるリフレ派であることの規範が自分に合わないと感じることが多くなりました。
リフレ派のコードを一般の支持層が決めることには違和感があるのですが、現実にまかり通ってしまっているので仕方ないことであります。
誰かが決めたコードにそって、世間的には賛成されたり反対されたりしているわけですが、賛成されるにせよ反対されるにせよ、非常に居心地悪く感じます。


最近とても問題に感じるのは、リフレ派であることの条件として、「構造改革を意味のないものとして扱うこと」「財政出動を景気に効果のあるものとして扱うこと」という二つが喧伝されていることですね。
リフレ派的態度が世間的に高い地位をしめるようになったときに、この二つが常識として語られるようになったら、それは社会にとって有害だと思いますので、個人的にはもうリフレ支持層と看做される事にも抵抗を感じてきています。


古くからのリフレ支持層の人たちは十数年前からネットでリフレ政策を論じてきたとのことなんですが、その割には構造問題を無視したり、放漫財政を看過したりするので、一般的な経済観を持っていないように思えます。
財政政策や金融政策をいくら実施したところで、法律が変わるわけではないのですから、政府の規制によって革新が妨げられていることに対してリフレ政策は役に立ちません。
というか、関係ありません。
そういった問題は別件なのですから、別途論じられなければならないはずなのですが、あたかも「リフレ派が関心を持たない問題は大した問題ではない」と言わんばかりの放言がさかんになされています。
これでは周囲から傲慢だと思われても仕方ないですし、現にリフレ派に対する反感が目に付くのも当然であります。


また、財政についての思考にも矛盾が見られます。
リフレ派の財政問題についての規範は、「政府債務の名目GDP比を下げればよいのであるから、緊縮財政は不要である。」というものです。
この点については反対ではありません。
しかし、同時にリフレ派の規範では、「経済の回復には財政出動が必要であり、財政を削ると経済にダメージが発生する。」ともされていて、これは「否定しがたい常識」であり、「否定する人間はおかしい」という宣伝が行われてもいます。
実際、現在の日本はアベノミクスによって景気拡大中であるわけですが、安倍政権がたった数兆円の一般予算を削っただけで、「緊縮財政だ」と言われています。景気が拡大しているのに、「緊縮財政」が問題である、という話が私には理解できません。
景気が拡大しているなら、今以上の財政の拡大がどうして必要なのでしょう?
経済の調子がよいのであれば、財政は十分に出されていると考えてもよいのではないでしょうか?


今後の景気がどうなるのかは勿論わかりませんから、念のために財政出動も行う、という考え方は理解できます。しかし、それでもやはり、今後の景気の成り行きの不明瞭さを示す根拠が必要だろうと思います。
もうすぐ発表される、四半期GDPの二次速報の結果が悪いものであるのなら、さらなる財政出動を主張する根拠になると思いますが、この半年の流れを見ている限りでは、説得力を感じません。


問題は説得の根拠が欠けているということなんであって、根拠を見いだせないときには主張するべきではない、というのが私のリフレ派への批判です。


構造改革否定にせよ、財政出動肯定にせよ、結論だけ言う人が多すぎます。
結論だけ言うのは誰にでもできることです。
結論だけ言っても、正しさを主張することはできません。


デフレ脱却が実現するときには、揚げ足取りでない、まともなリフレ派批判が必要になってくると思います。