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自由は信仰の対象ではない。

自分は基本的には自由な資本主義が良いと思っているが、一方で公的機関が経済に介入してバランスを取ることにも場合によっては賛成する。
基本的に自由な社会が良いとはいっても、自由を一部制限する方が社会が上手く回るのであれば適切に制限するべきだろう。資本主義vs社会主義という図式を先入観で持ってしまうと「社会主義的だからとにかく反対。」とか逆に「『新自由主義』だから反対」といった脊髄反射的な反対論が出てきてしまうのだが、こういう考え方は現実の実際の在り様よりも「思考の基本方針」をドグマ的に遵守するものであって、手段を目的と取り違えている。方針は道具に過ぎないので、そこに現実や人間を無分別に押し込むのは間違っており、現実の在り様に応じて場合によっては方針は変化させるべきだ。
社会の基本に社会主義をおくべきではないと自分が考える理由は、社会主義は政府が経済をコントロールするものなので必ず独裁を生むという理屈からの面がひとつ。政府が経済をコントロールするということは政府の意向に経済の全てがかかっているということになれば、政府の顔色を伺って少しでも有利に取り計らってもらおうとする汚職の温床になるだろう。また、現実に登場した社会主義国も独裁国家、失敗国家ばかりで国民の大量死を招いている例も多いという現実からの根拠もある。
社会主義に共感する人の多くは過去の日本の軍国主義は否定する人が多いが、1930年代からの軍国主義は統制経済=社会主義と軍事を結びつけたものだということを確認しておかなくてはならない。教科書にはこの辺をすっきり書いていないが、参考書には書いてあるものもある。検定のある教科書で肝心な所が書けないという事実が何を意味しているのか考えると興味深い。日本が戦争に至る時期には左翼は勿論、国家主義者も資本主義を否定して全体主義国家を夢想していたという事実をおさえておくべきである。
そのような訳で社会の基本には自由な資本主義が良いと思うのだが、自由が常に良いものであるという理屈は証明できないし、現実からの根拠でも自由である故の弊害は観察されているのだから、それはバランスをとるべきだということ。「自由だからとにかく善」という思考法には根拠がなく、ドグマだ。
「貧しい労働者に国がカネを給付する」という政策は社会主義的で「ある種不公平」なものであるが、ちょっと考えてみると社会保障も同じようなものだ。医療保険は健康な人や健康に配慮して努力する人ほど損をする仕組みだ。しかし我々は医療保険を当たり前のものと考えているので、それを「社会主義的だ」と批判する人はほとんどいない。注意しなくてはならないのは、そのような社会状況は決して当たり前ではない、ということである。医療保険が当たり前だと考えられているのは、日本ではそのように浸透させる活動が行われたからであって、例えばアメリカでは現実に「医療保険を充実させるのは社会主義だ」として本気で反対する人が大勢いる。それはアメリカではそのように語られることが多かったからだ。
これが何を意味しているかといえば、「私たちが当たり前だと思っていることは決して自明なことではない。」ということだ。今の価値観で変に思われることでも浸透させる努力をすれば常識になっていくということ。
「貧しい労働者に国がカネを給付する」という制度も浸透させる活動を行えば、特に変なものではなくなるということだ。もちろん、「ウソも百回言えば本当になる」という間違った使い方で社会に打撃を与えてしまうこともあるのだから諸刃の剣と言えるが、今の日本の状況=デフレで不況で格差が広がって経済が下降し人心が荒廃し始めている、という現実から考えてみて、資本主義の自由さを一部制限して例外を作ることによってむしろ資本主義社会が安定的に維持できると思うから提案している。
こういう問題は賛否両論あるのは当然だが、お互いがドグマ的にならず具体策を出しあうという議論が必要になるのだろう。国民が直接にネットで議論できる状況は整ってきている。一定の方向づけを担うマスコミに頼らず、ドグマ的にならず、本気で議論することが求められている。